マジでなんでもない日に行ったからタイトルが思いつかねえ。
ところでこれは今回の廃村の地図的なやつです。現地でのメモを参照しているのでどこかしら間違ってます。多分。
追記:普通に間違ってます。
本題。
廃村が集中するある地域のうちの一つ。県道から外れた道の先にその集落は残っていた。
斜面に家々が並び、土台の補強に石垣。
こりゃ暮らすのも大変だなァ…と凡庸な感想をぼやき、ひとまず麓から1番遠い家から見ていくことにした。
家屋①
集落の最奥(この表現が正しいのか分からないが)にある家屋。人為的な破壊痕跡は目立たないが、人が訪れた形跡はある。
残留物が外に出されていた。関連がありそうで全くない二つ。
そもそも崩壊がひどい家。いつまで家の形を保っていられるのか。
家屋②
呼称:赤十字の家。
なお、他の家にもこの札が見つかりこの呼称は使われなくなるもよう。
ブラウン管テレビが残されていた。これは人為的な破壊だなぁ…。
家屋③
綺麗だね。 …これ以上言うことないです。
昔の家屋の構造に詳しければ有意義な文章も書けたんだろうけど。
墓地①
故人の魂は静やかに。ここまで静やかなのもどうかと思うが。
墓が苔に埋もれゆく姿というのは、どうしようも無い感傷をこちらへ寄越す。その割に写真はしっかり撮るのな。
右:故陸軍伍長勲八等上林樫作之墓
左:盡忠院秀岳義雄居士
おおよそ三段に別れるこの墓地の最上段に位置する二基の墓である。この二つが並ぶ理由とはなんぞやと思っていたが、見てみると左の墓の水鉢に上林と書かれている。
となれば近しい親戚の可能性も高いと思いつつも、まるで想像の域を出ないものである。当時の資料などは残っているのだろうか。
(他の方のブログに上林姓が確認出来るって書いてあるけどね。確かめたいものは確かめたい。)
家屋④
家の重みで障子が歪む。この家とてこの先長くは無さそうだ。
主立った残留物、黒電話。ジーコジーコする型式よりは新しい型式な気がする。
家屋⑤
倒壊。いずれこうなる。
家屋⑥
家がトタン張りになった。内装は他の家と変わらないような気もする。
軒先にギターと草野球のユニフォームが展示されていた。文化的な住人が?
家屋⑦
他の家屋に比べて小さい家。
比較的新しめの風呂があった。
家屋⑧
1番上の地図には書いてません。ブログ書いてる途中でこの家の存在を思い出しました。
場所としては③と⑥の間、というか、
なんで忘れてたんですか?(素)
ともかく。
郵便受けが印象的な家屋であった。
この家も入口が施錠されており、保存状態もいい。
呼称:赤十字と郵便受けの家。
なんて安直。
墓地②
足場が悪くて近寄れなかった。遠くから見るに墓地①よりは新しく見える。墓石が新しい気がするというだけだが。
橋。渡るとほんのり沈み込む。
家屋⑨(上の地図では家屋⑧)
集落の1番手前にある家屋。内部へのアクセス方法がハッキリしなかったため外観のみ。
石垣の間から木が生えている。いずれ崩れてしまうのだろうか、こんな立派な石垣が。
集落の入口に一基で存在する墓。補修の跡があるから集落にとっても重要なものだったのかもしれない。
まあ、集落自体がこうなってしまっては等しく苔に覆われていくだけだが。
さて。……さてと言っても結びを書けるほどこの集落に対しての知識が無い。困った。
なにせなんでもない日に行った廃村だ。えーと、あれだ。
穏やかでいい日でした。廃村を訪ねるにはピッタリだったと思います。
終わり。