140の範疇外

Twitterに書ききれないことを書くところ。

山の上のお城の話

f:id:toiro1107:20200225024502j:image

二階建て。コンクリート製。

これをお城と呼んでいいものか。疑問はそこに帰結するわけだが、この廃墟、名前をT城というのだから城と呼ぶ他ない。

 

この城はごく低い山の上にポツンと建っている訳だが、流石は廃墟への道。整備などされていない。ここを訪れた先人は麓の神社より山に入ったそうだ。

f:id:toiro1107:20200225025607j:image

件の神社。このすぐ横に、裏へと続く道がある。

f:id:toiro1107:20200225025725j:image

山に入って早々につづら折りの道になる。

歩きづらさこそあまりないが、進むにつれて道が分かりにくくなる。

というか私は道を見失って無理やり登った。

 

まもなくその城は見えてくる。ーーこの記事最初の写真がそれであるがーー

見えてくるにつれ、その小ささも分かってくる。一般家屋よりはもちろん大きい。だが、観光スポットという当時の思惑を考えるとどうにも…?

 

f:id:toiro1107:20200225025956j:image

この日は徳川まつりの誕生日であった。

お城に連れてきたが、残念この城はきらきらでもびゅーてほー!でも無いのである。

上記の文は私が乱心したのではなく。

いやこの写真自体がけっこうな乱心では。

……

………

 

この小ささであるから、内部も狭い訳である。

その上床の崩壊も進んでいる。あぶねえ。

f:id:toiro1107:20200225031145j:image

辛うじて丈夫な部分を歩く。万が一落ちてもせいぜい1メートル程度であろうが、廃墟で怪我はしたくないものだ。

f:id:toiro1107:20200225031432j:image

1階部分。残留物も僅かであり、崩壊の進んだ屋根から光が差し込む。なんとも寂しい場所である。

f:id:toiro1107:20200225031833j:image

しかし施設内に2つ残っている箪笥は見事なものだった。どちらも保存状態は悪いが、この崩れ加減が個人的に好みである。

f:id:toiro1107:20200225032146j:imagef:id:toiro1107:20200225032157j:image

f:id:toiro1107:20200225032216j:image

同じ角度でしか撮れないのは、素直に私の技量不足を恨む。このブログを書くために写真を選んでいて驚いた。似通った写真しか無いじゃないか。

 

f:id:toiro1107:20200225032347j:image

他に目立つ残留物といえばこれだろう。

ただ、これが何者であるかが分からない。

f:id:toiro1107:20200225032734j:image

入口付近にはガラスケースが残っていた。ケースとしての役割も囲うガラスも、とうに無くなっていたが。

f:id:toiro1107:20200225032926j:image

窓にはカーテンが掛けてあった。しかしこの劣化。もはや本分ここにあらず。

f:id:toiro1107:20200225033149j:image

2階へ向かう。床の崩壊に比べ、階段は構造のおかげかかなり丈夫な造りになっていた。

f:id:toiro1107:20200225033409j:image

2階は1階より更に狭い。畳が敷いてあるが、果たしてここはどのように利用されたのか。

 

そしてこの2階、残留物と呼べるものが殆ど無い。クッション等は残っていたが、時代を示すもの、現役時の資料はまるで無し。残念ながら、歴史的な魅力はなかなか薄い物件である。

そもそもコンクリートな時点で。

f:id:toiro1107:20200225034042j:image

2階を囲うようにベランダが設置されている。

風と日差しが穏やかな日だった。

 

城から出て、来た方向と反対に歩くと小さな小屋が見えてくる。というかトイレ。f:id:toiro1107:20200225034328j:image

内部。

f:id:toiro1107:20200407214230j:image

f:id:toiro1107:20200407214239j:image

洗面台の落書き。そんなに怒らなくても。

 

f:id:toiro1107:20200410121228j:image

他の周辺施設。櫓?

f:id:toiro1107:20200410121332j:image

これは物置小屋。

ところで、この櫓から小屋まではなだらかな山道を下るのだが、道中にお地蔵様がいた。

写真を撮ろうとしたが、どうにも撮らない方がいい気がして結局撮らなかった。

こう思った理由は説明できないのだが。

 

さて、前情報でこの廃墟は城のみだと思っていたがこれが間違い。城から伸びる山道を下っていくと、ススキの茂る平らな土地にこのような建物があった。

f:id:toiro1107:20200410122535j:image

(物件名映り込みによりモザイク加工)

↓↓↓以下内部↓↓↓

f:id:toiro1107:20200410122931j:image

f:id:toiro1107:20200410123746j:image 大部屋。

この大きな部屋と通路、トイレで構成されている。フロントのようなものもあったが。

f:id:toiro1107:20200410123926j:image

トイレ。飛び出た大便器。


f:id:toiro1107:20200410122936j:image

この地域の山嶺をかいたであろう壁面。意外にも落書きは少なく感じた。写真こそ撮らなかったが、BB弾が施設中に散らばっていたが故の意外である。

しかし落書きは無くとも、BB弾による建物への損傷は各所に確認出来るため全く褒められたものでは無い。

不法侵入が何を偉そうに。

f:id:toiro1107:20200410123540j:image

入り口にて打ち壊されたテレビ。

 

しかし、どうにもこの施設に関しては現役時代にどのような様であったかが分からない。

順当に考えれば、城がレジャー施設であるのだからその一環となるのだろう。それなら壁面に彩色画が残るのも納得できる。

 

建物から出て、ススキ原を歩いているとトイレを見つけた。またか。

しかしこのトイレが凄い。女子トイレは至って普通なのだが、

f:id:toiro1107:20200410130935j:image

男子トイレの小便器がこれ。

f:id:toiro1107:20200410124422j:image

少なくとも私は青色の小便器を初めて見たし、

なおかつ5つ綺麗に並んでいる

一切の破壊がない

という状態で残っていた。廃墟において便所を重視する私にとって、これはかなりの僥倖であった。

この5つ並ぶ姿を撮れただけでも広角レンズに感謝せねば。

 

トイレの裏から舗装された道が続いていた。

f:id:toiro1107:20200410125002j:image左端がトイレの建物

これを辿ると、低いフェンスを経て一般道に出る。

 

つまり、冒頭の神社からアクセスする道は端から裏道だった訳だ。これが分かっただけでも、行きに苦労したかいはあったのかもしれない。

次は楽に行く。

 

本題終わり。以下余談。

探索の帰り、駅に向かって歩いていると駄菓子屋を見つけた。店のおばちゃんにこの城の事を聞いてみると、近くにあったレストランのオーナー等が観光の一環として作ったものだという。この話の真偽はまだ確かめていないのだが。

f:id:toiro1107:20200410130748j:image

その駄菓子屋。古き良き?(撮影許可済)

また、この日から私のカメラにNikon D750とレンズAF-S NIKKOR 14-24mm f/2.8G ED

が加わった。

f:id:toiro1107:20200410131209j:image

広角、スゴい。

 

余談終わり。